2005年09月24日

最後まで自分らしく

今回は、奥様ネタではありますが、26歳の若さでこの世を去った、
奥様の友人の話を書き綴りたいと思います。

忘れる事の無いように、健忘録として。


俺様の奥様は、結婚する以前、日本で唯一だった観光潜水艦のガイドをしていました。
ご存知の方もいらっしゃるかとは思いますが、観光潜水艦 『もぐりん』です。

恩納村のサンマリーナホテルの横にありました。
今は会社もなくなり、潜水艦自体も分解され、部品部品が再利用されているとのことです。

その『もぐりん』時代の一緒に仕事をしていた女の子の話です。
非常に綺麗な女の子で、職場でも人気があったとの事。
結婚式にも参加していてくれてたとのでした。

彼女は結婚して、子供が一人いたそうです。亡くなった時には1歳半。

去年の年末頃、うちの奥様は同じ『もぐりん』のガイドメンバーの結婚式に参加し、
久々に彼女と再会したようです。
その時に、彼女は元気そうでしたが、身体に腫瘍ができている事を、
明るく打ち明けていたとの事。

そしてまもなく入院する事も打ち明けていたとか。

旦那とは、子供が生まれてすぐに子供の面倒を見ないという理由で、
出産後、1ヶ月で別居し、離婚していたそうです。


それから、半年以上の時間が過ぎ、9月の中旬、
彼女の訃報が奥様の元へ入りました。

葬儀には出席できませんでしたが、後日彼女の自宅へ、
当時の『もぐりん』ガイド仲間と線香をあげに行きました。

彼女のお母さんから、いろいろ話を聞いたそうです。


昨年の結婚式で会ったときには、末期がんだったと。
本来であれば、外出できない状態だったが、『もぐりん』の
メンバーに元気な姿で会えるのが最後になるかも知れないから、
お母さんへ懇願して、出席したそうです。

年明けてすぐの頃も、高校時代の友人の結婚式があったとの事で、
友人に会えるのも最後だからと、お母さんへ懇願し、
通常の生活は出来ない状況だったらしく、痛み止めの薬を大量に持って行き
笑顔で参加したそうです。

今年の3月頃には、とうとう最後の入院となってしまい、
ガンも骨まで転移している状態で、手の施しようが無い状態だったとは思います。

最後には、大学病院への転院の話になったようですが、
本人の強い要望で、自宅へと帰ってきたそうです。

亡くなるまでの間、子供とお母さんと一緒にいたそうです。
子供にはずっと笑顔で・・・・。

ものすごく痛かったはずなのに、一言も痛いとは言わず、
子供の前では、ずっと笑顔だったそうです。

また、彼女が最後にお母さんへお願いしていた言葉が、
意識がなくなったとしても友達には自分の姿を見せないでと。

綺麗な女の人だったのですが、死を目前にしてまでも、
自分自身の意思を尊重しての言葉。


果たして俺様にはまねが出来るんだろうか。
自分自身は、そんなに強くはいられないだろう。


後から俺様の奥様が言いました。

『子供が生まれてすぐの時期で、たった一ヶ月で、
子供の面倒をみないという理由でわかれるかな・・・。
出産のときに腫瘍が見つかってるから、もしかしたら・・・』


ただただ涙が出ました。


享年26歳。彼女の冥福を本当に祈ります。
彼女は最後まで自分らしく強く生きたと思います。

ガンと戦うべきだとも思いますが、俺様は彼女はしっかり立ち向かったと思います。




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Posted by ハンター at 14:47│Comments(0)奥様ネタ
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